公認会計士試験合格体験記

お久しぶりです。プライベートでいろいろと忙しく、更新する時間が取れませんでした。

今日は今年の司法試験最終日、そして予備試験の短答ですね。受験された皆さん、本当にお疲れ様でした。予備試験の方はあまり気を抜かずに論文の勉強に移る必要がありますが、今日くらいは飲みに行くなりなんなり楽しんで下さい!

さて、公認会計士の合格体験記も書いてみたいと思います。一つ重要な注意点としては、私が受かったときは今よりも合格率が高かったです。おそらく、今だと同じ勉強をしても受からない可能性が高いです。しかし、それは量の問題で、メソッドとしては間違ってなかったと思います。さすがに適当な勉強で受かるほど簡単ではなかったので…

では、書いていきます。

高校三年生、内部進学の学部選択の時期になった。私は弁護士になりたかったので、当然法学部を選択し、無事希望通り法学部への進学が決まった。

ある日、クラス会が行われることになった。その日は、私は授業が昼くらいに終わったが、選択授業の関係かなにかでクラス会は夜から行われることになった。さて、暇である。誰か誘ってカラオケでも行こうかと思って、同じクラスのOを誘ったら、断られてしまった。公認会計士の予備校の説明会に行くのだという。内部進学生向けに駅でパンフレットを配っていたのだそうだ。

公認会計士?なんかむずい試験らしいが、全然興味ねえな。そう思った。しかしいかんせん暇だし、他にカラオケに付き合ってくれるやつもいなさそうだし、なにより予備校の場所がクラス会の場所の近くだったので、Oともう一人Kという同級生についていくことにした。

説明会とはいっても、そのときは我々三人しかいなかった。そこで予備校の先生に、公認会計士になるとなにがいいのか、滔々と説かれた。これでかなり興味を持ってしまった。簿記二級講座を特別に無料で受けれるというので、大学1年生から司法試験の勉強をする気もなかったし、とりあえずやってみようということで、その無料講座に申し込んだ。

かくして、私の簿記の勉強は高校三年生の終わりからスタートした。とはいっても、週に一回くらい行って講義をDVDで観るだけだったが…

大学の法学部に高校から内部進学した私は、当然ロースクールに行くものだと考えていた。当時はまだ旧司法試験も残っていたが、さすがに受かる自信がなかった(今考えれば本気でやれば受かったかもしれない…とおもうが、後悔はしていない)。

しかし、実際に調べてみて衝撃を受けた。学費高杉。当時実家の経済状況が思わしくなく、親にローに行きたいと言ってみたら失笑されてしまった。最終的には行っていいと言ってくれたが、申し訳ない気持ちもあり、いろいろ悩んだ結果、ローには進学しないことにした。

私は、昔からサラリーマンにだけはなりたくなかった。理由は別の機会に書くかもしれない。とにかく、公認会計士になって、独立すれば好きなことができるし、そのあと弁護士になりたければ自分の金でローに行けばいいじゃないか、と考えるに至った。なお、多少異なる経緯を辿ったが結局おおよそその通りになった。なお、会計士の予備校代は親に頼み込んで払ってもらった。

このように公認会計士試験を受験すると本格的に決めたのは大学1年生の夏くらいだったと思う。そこから真面目に勉強をはじめた…ということはなく、大学サークルに入り、麻雀などに興じながら、相変わらずダラダラ予備校に通っていた。ペースは週2くらいに増えた。ここから大学二年生の6月くらいまでは、日商簿記1級対策に入り、簿記と管理会計だけを勉強した。つまり、1年目は計算しかやらなかったということになる。

大学二年生になると、 6月の簿記一級の試験は目前に迫っていた。この時点で、私は全く簿記ができなかった。講義はちゃんと消化していたが、聞いてわかった気になって復習をほとんどせず、というのを繰り返していたからだ。答練も一応受けていたが、それこそ2点とかいった点数はザラだった。

この状態では受かるわけはない。しかし私は気にしていなかった。簿記一級なんてどうでもよくて、大学3年の時に公認会計士試験にさえ受かればよいと思っていたからだ。

しかしここで、今から考えると僥倖としかいいようがない出来事が起こる。大学に入ってから付き合った彼女に振られたのだ。失恋して結構傷ついたし、何より時間がぽっかり空いたので、気を紛らわすためにとてつもない量の勉強をするようになった。とてつもないといっても一日10時間くらいで、受験生からしてみれば普通かもしれないが、あれほど集中して毎日長時間勉強したことは後にも先にもない。

基礎が全くできていなかった私は、まずテキストの例題を3回くらい解いた。できなかった問題はそれ以上解いた。問題集までやっていては試験に間に合わないと思い、簿記一級の過去問を5年分くらい買ってきて、答えを暗記するくらい何度も解いた。解いてテキストを読んで理解、という暇はなかったので、よくわからない問題はなにも考えずにとりあえず解き方を暗記した。何度も繰り返しているうちに不思議と理解できるようになった。

以上のようにしたら、なんと、受かってしまった。私は仲間内で簿記ができないことで有名であり、受かるわけがないと言われていた。しかも、私が通っていた予備校では簿記一級に大学二年で受かると三年で会計士に受かるというジンクスがあり、実際にその時受かった者は、全員翌年の会計士試験に合格した。

簿記一級合格に気をよくした私のモチベーションは俄然上がった。簿記一級直後から理論科目、選択科目の学習が始まった。私は暗記が得意だったので、読むだけで勉強できる理論科目は大好きだった。会計士試験の理論科目は司法試験と違って書く量が少なく、問われているのも主に知識なので、答案構成を繰り返す必要がなかった。今考えると企業法だけは答案構成をやったほうがいいとは思うが。

とにかく、予備校の授業にできるだけ遅れないこと、どんなにできなくても答練は受けること、これだけを考えて試験直前まで勉強した。とはいっても、大学の授業に全く出ていなかったので、サークルをやったり麻雀をやったりする時間はあった。学生とは幸せなものである。

相変わらず劣等生扱いではあったが、模試等では一応合格圏内に入っていた。相変わらず簿記や管理の答練(上級答練)ではひどい点数を連発していた。勉強時間は一日5時間くらいだったが、試験一ヶ月くらい前からは8時間くらいやっていたと思う。

そんなこんなで、大学三年生の5月、短答がやってきた。なお、前の年の短答も受験はしていたが、簿記と管理会計以外全くやったことがない状態で受かるわけがなく、当然落ちていた。本番の環境を知るという意味で、周りも結構受けていた。

私はかなりプレッシャーに強い方だが、始まってから30秒くらいは手が震えてマークできなかった。

私は短答模試の成績はそこそこよかったので、それなりに自信を持っていた。しかし、自己採点してみるとかなりギリギリだった。ギリギリなので論文の勉強をする気が起きず、一ヶ月遊び暮らしてしまった。

短答に合格したことを知り、相当焦った。選択科目と租税法も短答前からやってはいたのでそこは大丈夫だったが、理論科目の論証の再暗記と、計算の底上げが全然間に合っていなかった。一日10時間くらい勉強したが、論文二週間前にサークルの夏合宿に行ったりもした。なんだかんだで論文には3-4割受かるため、落ちることはないと思っていたからだ。

論文は上記の謎の自信があったため、殆ど緊張しなかった。しかし、最初の租税法で時計が壊れ、時計なしで解くことになった。あれは本当に焦った。なんとか時間内にわかるところを解き終えたが、いまでもたまに夢に見る。

企業法が早く終わり、最後の経営学の勉強をしようと思って途中退出したら、試験監督のおばちゃんに「本当に三日間お疲れ様。」と仏のような顔で言われた。もう諦めたと思われたんだろう。諦めてねーよ!と心の中で思ったことを覚えている。

試験後も合格を一切疑わなかったが、予備校の先生は絶対に落ちると思っていたらしい。合格祝賀会では「お前本当に受かったんだな。」と言われた上に、合格者の中で答練成績がワースト5ということで表彰された。

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